第32回 水素エネルギー研究会

(月刊『コロンブス』2026年6号掲載)


日本の未来を拓く「蓄電・水素エネルギーマネジメントシステム」

2040年の政府目標「再エネ率50㌫超」に向けて
製造コスト「ゼロ」のグリーン水素を生産する!!

実質、「コストゼロ」でグリーン水素を製造する——。東京大学先端科学技術研究センターの河野龍興教授の水素研究グループが、そんな驚きのシステムをオーストラリアでの実証プロジェクトで生み出したという。もしそのシステムが日本で実装されれば、発電量が不安定な再生可能エネルギーの調整役としてグリーン水素が活用され、カーボンニュートラル達成に一気に近づくことができる。さっそく、河野教授にそのシステムの詳細を聞いた。


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「豪州・インドネシア間のグリーン水素製造・輸送・利活用に関する実証事業」で南オーストラリアのアデレード近郊につくられた水素製造拠点

再エネ50㌫超時代に必要な調整役「水素」

 日本政府は2040年までに再生可能エネルギー比率を50㌫超に引き上げる目標を掲げている。が、再エネの普及拡大は脱炭素への道筋であると同時に、日本の電力インフラを脆弱にする危険性も孕んでいる。太陽光や風力などは天候に左右されやすく、発電量の制御が困難だからだ。電力の供給が需要を大幅に上回ったり、逆に下回ったりすることで送電網の周波数が乱れれば停電が引き起こされてしまう。事実、再エネ比率の高いスペインで昨年、急激な出力変動が原因で大規模停電が発生し、復旧まで約20時間も数千万世帯が闇に包まれた。
 こうした事態を避け、安定した電力供給体制を維持するには、余剰電力を吸収し、不足時には補う調整役が必要となる。その担い手として大型蓄電池への期待が高まっているが「蓄電池は長期間、大容量の電気を蓄えておくのに向いていないし、負荷をかけすぎると火災や爆発などの重大な事故につながる。蓄電池だけに頼るのは非常に危険」と東京大学先端科学技術研究センターの河野龍興教授。そこで白羽の矢が立てられたのが、製造過程でCO2を出さない「グリーン水素」だ。「余った電力でつくった水素を水素吸蔵合金に貯蔵すれば、必要な時に備えて低コストで安全に長期間にわたってエネルギーを保管することができる。再エネ50㌫超時代には、この水素製造・貯蔵システムが必須」だという。

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東京大学先端科学技術研究センター教授の河野龍興氏。35年以上にわたり水素エネルギーに関する研究開発に携わってきた。ニッケル水素電池「eneloop(エネループ)」の原型を発明。2023年から福島国際研究教育機構の「水素エネルギーネットワーク構築に関する研究開発」事業に東北大学や京都大学と連携して取り組んでいるほか、25年4月に令和7年度科学技術分野の文部科学大臣賞を受賞
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電力の市場価格がマイナス(①)で、かつ発電にともなうCO₂ 原単位も低い(②)時間帯にいかに効率よく、水電解装置への負荷も小さくしながらグリーン水素を製造するか、そのためのエネルギーマネジメントシステムが脱炭素社会確立のためのカギを握っている

再エネ先進地の南豪州でグリーン水素を安価に製造

 グリーン水素といえば、その製造コストが高くつくことから経済合理性に合わず、社会実装は難しいといわれつづけてきた。が、河野教授はその常識を覆すプロジェクトに挑戦した。環境省の支援の下、丸紅などが参画して2021年から2025年11月にかけて実施された「豪州・インドネシア間のグリーン水素製造・輸送・利活用に関する実証事業」がそれだ。実証の舞台は再エネ普及率の高い南オーストラリアのアデレード。現地の電力系統から再エネ比率の高い電力を買い入れ、その電力を使って水電解装置でグリーン水素を製造、インドネシアに運搬して現地で産業利用するというプロジェクトで、最大の目的はグリーン水素の製造コストを「実質的にゼロ」にすること。河野教授によれば、現在、日本でグリーン水素を製造するには1N3m(ノルマルリューべ/圧力・温度・湿度が基準状態の時の気体量)あたり約300円のコストがかかるが、南オーストラリアのような再エネ先進地ではまったく異なる力学が働く。「再エネの供給が過剰になると、市場での電力価格が下がってゼロ、あるいは『マイナス価格(ネガティブプライス)』になる時間帯が発生する。この再エネ電力がゼロかマイナスの時間帯にだけ水電解装置を動かせば、製造コストゼロでグリーン水素を生産することができる」という。

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「豪州・インドネシア間のグリーン水素製造・輸送・利活用に関する実証事業」で南オーストラリアのアデレード近郊につくられた水素製造拠点。南オーストラリアは再エネの導入率が約7割と極めて高く、グリーン水素を安価に製造する条件が揃っている 参照:豪州・インドネシア間のグリーン水素製造・輸送・利活用に関する実証事業/丸紅(https://www.marubeni.com/jp/news/2025/info/00038.html)

 しかし、理論上は可能でも、そこには技術的な壁があった。「水電解装置は電力の急激な変動に弱く、オン・オフの繰り返しや不安定な入力が装置の寿命を縮め、最悪の場合は故障してしまう」のだ。そこでこのプロジェクトでは、マイナス価格の時間帯以外でもつねに水電解装置に一定の電力を供給しつづけることに。そのうえで河野教授が長年、研究をつづけてきたAIの機械学習による高度な気象予測やシステム制御のノウハウを活用し、蓄電池と水電解装置を最適に動かしつづける「蓄電・水素エネルギーマネジメントシステム(BHS)」を構築、これにより変動の激しい再エネ電力からでも安定的に水電解装置を稼働させ、安価なグリーン水素を製造する仕組みを確立したのだ。

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「豪州・インドネシア間のグリーン水素製造・輸送・利活用に関する実証事業」では、南オーストラリア現地の系統電力を買い入れ、エネルギーマネジメントシステムによって蓄電池と水電解装置を制御するシステムを構築。製造されたグリーン水素は、安全に長期間貯蔵できる水素吸蔵合金タンクに詰められ、海を渡ってインドネシアへ。そして現地の工業団地で燃料電池を用いて電力供給が行われた

再エネ普及と併せて日本版BHSの確立を

 ただ、難しいのはここからで、南オーストラリアの実証で得られた知見を日本でどう生かすかが今後の焦点となる。現在の日本では再エネ比率はまだ約22㌫、火力発電が主力であるため、「電力はマイナス価格だが発電にともなうCO₂原単位(※1)が高い」時間帯が多い。当然のことながら、そうした時間帯に「CO2排出電力」でグレー水素(※2)を生産してもカーボンニュートラルにはつながらない。
 しかし、政府目標通り2040年に向けて再エネ比率が50㌫にまで高まれば、日本国内でも南オーストラリアのようにCO₂原単位の低い余剰電力が生まれる時間帯が増えることになる。「そのときに備えて、今のうちに電力とCO₂原単位が低い時間帯に安価なグリーン水素をつくる日本版蓄電・水素エネルギーマネジメントシステム(BHS)を完成させる必要がある」と河野教授は力を込める。
  島国である日本は、ヨーロッパのように隣国から電力を直接、融通してもらうことができないため、再エネの割合が高まるほど電力供給の自立性と安定性をいかに確立するかが国家のエネルギー安全保障上の急務だ。オーストラリアの広大な大地で培われた知見が、遠からず日本の電力網を支える確かな礎となることに期待したい。

※ ※1 CO₂原単位……一定の活動量(ここでは発電)あたりに排出されるCO₂の排出量を指す。
※2 グレー水素……天然ガスや石炭などの化石燃料から製造される水素。製造過程で発生するCO₂を回収せず大気中にそのまま排出してしまうため、環境負荷が高い。脱炭素社会の実現に向けては、いかにCO₂を排 出しない「グリーン水素」を低コストで製造できるかが課題となっている。